融合。
一昨日の記事に書いた
平和な邑の子ども達が通う中学校のH先生は
僕の中学時代の恩師と言うか僕が通っていた中学校の
音楽の先生で当時は岡山在住で
30代後半(岡山在住時はウチの実家の近所にお住まいでした。)で
教務主任になるくらい
音楽の先生で当時は岡山在住で
30代後半(岡山在住時はウチの実家の近所にお住まいでした。)で
教務主任になるくらい
いずれは女性教頭、女性校長にって言われていた先生が
10年くらい前に大病を煩われその病床でふと
「生まれ育った町で田舎者としての天寿をまっとうする」
って考えが浮かんじまったらしく
故郷である僕の職場のある町に帰ってこられて
娘さんの成人式の記念写真を写りにウチの職場へ来られて
「あ、もしかしてT君じゃない久しぶりねぇ。
世の中狭いねぇ」
みたいな話をしたりして
ウチの会社にその頃は全くなかった
中学校の演奏会とかの撮影を依頼してくれたり
中学校の演奏会とかの撮影を依頼してくれたり
「退官間際の最後の我儘」と市内の吹奏楽祭の撮影を
他の写真屋さんからウチに変えてくれたり
その縁で中学の卒アルが依頼されるようになったりと
その縁で中学の卒アルが依頼されるようになったりと
どっちかと言えば恩師というよりは恩人な感じです。
そんな先生が定年後に嘱託勤務で着任されたのが
平和な邑の子ども達が通う地域にたった一つの
しかも一学年一クラスしかない小規模の中学校で
10人くらいしかいない吹奏楽部員と一緒に
地域のイベントに積極的に参加したり
保育園や老人施設で訪問演奏したり
邑中に音楽の楽しさを伝える洗脳啓蒙活動の結果
今ではその中学校の女子生徒の二人に一人は吹奏楽部
みたいな感じになっています。
H先生流の指導方法。
一番の上達法は場数を踏むこと。
「いっぱい失敗して恥をかいて友達に助けてもらい
いっぱい練習して頑張ってる過程も含めて
見て下さった方に拍手をもらって嬉しい気持ちが倍増する」
は素直で大らかな邑の子ども達と見事に融合して
先日行われた市内の小中学校合同の音楽発表会では
今迄は自分の子どもの発表が済んだら帰っていた
小学生の保護者の方まで「O中の演奏だけは見て帰ろう」と
小学生の保護者の方まで「O中の演奏だけは見て帰ろう」と
小学生の部が終わっても席を立つ方が少なくなるくらい
決してズバ抜けて上手ではありませんが
平和な邑の子ども達の演奏の様子と
御年6?歳のパワフルな背中から雰囲気だけでも伝わりますか?
楽しむ為には見た目も肝心と
初年度はH先生が自腹を切って揃えた演奏服も
今では邑の中学校のトレードマークになりつつあります。
最近は
邑の子ども達にT君って君付けで呼ばれるのも
楽しくなってきましたが
それも絶対、先生のせいなんですからね。