まだ49なんだからね。

気分はお兄ちゃんですが49歳らしいですよ。

区別。

僕がココでそしてダイアリー版でも
平和な邑と表記するド田舎な町の更にド田舎にある地区は
本当に本当に平和な邑なのです。
偶に僕が使う「田舎ならではの独自性」という言葉。
例えば大人たちは邑の子ども達を
誰の子とか何処の子とか一切区別なく扱い
悪い事をした子は誰の子でも本気で叱り
いい事をした子は心から褒めてあげる。
例えば学校行事でする田植えと稲刈りの時も
子ども達が植えた苗はそこの家に小学生がいるいないは
関係なく地域で大切に世話をして育て
収穫は豊作はご近所総出で手伝いお握りを作り
もし不作だったとしても
農業の難しさと厳しさを教える為に
子ども達のたんぼ以外の所の稲を刈ったりなんかしない。

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そんな周りの大人達に
ド田舎の子どもとして純粋培養されている子ども達は
おおらかに且つ子どもとしての自分を受け入れて育つので
突然尖がってみたり捻くれてみたりしないし
イジメや差別も無い。
前にダイアリー版でも書きましたが
この地区には家庭の事情で家族と離れ離れになった子どもを
中学まで預かる施設があるのですが
ドラマや映画でありがちな展開にはまずならない。
邑の大人たちにとっては同じく邑の大切な子どもな訳だし
邑の子どもたちにとってみてもそうだ。
彼ら彼女らには自分達のクラスメート(友達や仲間)
以外のカテゴライズが存在しないのだから
一緒に勉強して一緒に遊んで当たり前
遠足だって修学旅行だって
その施設の子だけのグループができたりもしないのだ。

 

その独特のカテゴライズは僕にも実は適用されていて
他の小学校とかなら偶にある
「僕は(私は)あのおじちゃん(の会社)に写して貰ってる」
的な贔屓してよ感とか特別扱いされたい感
とかも存在しない。
小学校の入学式の日に体育館で集合写真を写ってから
毎年春のクラス写真や運動会そして学芸会と
少なく見積もっても年に3回は
その学校の子ども達は僕に写真を撮られる事になるので
6年になって卒アル用の写真を撮る頃には
どの子もみんな僕に写してもらった事がある子になって
卒業アルバムの写真を撮りにた写真屋さんではなく
学校によく来ている
周りの大人やお兄ちゃんやお姉ちゃんや中学校のH先生が
「T君って呼んでるおじちゃん」になり
とてもフレンドリーな上にタメ口になってたり
するのです。

 

って言うか今年もすでにそうなんですけどね。

ね?

カワイイお子さま達でしょ?